今回ご紹介するのは、元バレーボール全日本代表選手で現在は、日本バレーボール協会の理事と日本バスケットボール協会の会長を務めている三屋裕子(みつやゆうこ)さんです。


バレーボール全日本代表選手といえば、現在は日本女子バレーで「火の鳥NIPPON」と日本男子バレーで「龍神NIPPON」がそれぞれ活躍しています。


今回は、世界からも注目され日本チームのメンバーとして活躍をされていた、三屋裕子さんについてご紹介します。

三屋裕子さんの現在は何してるの?年収や結婚が気になる!



全日本バレーの先駆けとなったチームの一員であった三屋裕子さん。


現在は、社長をされているという噂を聞きました。


まずは、その真相を調べることにしました。


すると、現在は「株式会社サイファ」という会社の社長をされていることが分かりました。


その他にも、以前は「株式会社テン・アローズ」「株式会社シャルレ」という会社の社長もされていました。


全日本代表選手を引退後は、社長さんとして活躍されているんですね!


社長ともなれば「年収」もかなりの金額ではないでしょうか。


こちらについても調べたところ、残念ながらご本人の年収に関する情報は公開されていませんでした。


以前は、下着販売会社の社長さんであった三屋裕子さん。


ちなみに、一般のアパレル会社の平均年収を調べたら「516万円」という事が分かりました。


人気ブランドのアパレル社長になると、1億円以上になることもあるとのことで、かなりの額を稼いでいることが予想されます。


しかし、僕もこのブログで様々な社長さんについて調べて記事にしてきたのですが、元アスリートで社長さんになった方ってしっかりした理念や信念をもっていって、社会貢献のために社長になられている人がほとんどだなと感じる事が多々ありました。


こっからは僕の勝手な予想ですが、三屋裕子さんも例外ではなく、ご自身の利益とかは関係なく社会貢献の一貫として、会社の社長になったのかも知れません。


三屋裕子さんの会社については、また後ほど紹介をさせて頂きます。


さらに、三屋裕子さんについて調べてみると「結婚」というキーワードも見つかりました。


調べたところ現在、三屋裕子さんは「独身」とのこと。


以前は結婚願望があったらしく、テレビでも結婚したいと言っていたとか。


今は社長さんとして活躍されているので、恋愛も出来ないくらいに忙しいのかも知れませんね。

三屋裕子さんが社長を務める「株式会社サイファ」ってどんな会社?



全日本バレー代表選手を引退後、現在は主に社長として活躍されている三屋裕子さん。


現在、社長として務められている会社は、果たしてどのような会社なのでしょうか。

株式会社サイファ


三屋裕子さんが社長を務められている「株式会社サイファ」は主に以下の事業内容を行っています。

<株式会社サイファ・事業内容>

・スポーツプロモーション

・各種イベント企画、製作。マネージメント

・出版物刊行、出版、ビデオ製作、編集および販売

これまでに、株式会社サイファではスポーツ育成指導はもちろんのこと、健康支援活動などにも積極的に取り組んでいます。


「人と人とのつながりが、人を育て、自分で動こうとする人の幸せにつながる」

三屋裕子さんや、株式会社サイファで働く方々は、この事を常に思っているそうです。

 

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今後の日本のためにも、こういった支援活動を行う会社は、ホントに大事だと思いますね。



小さい子供が社会との接点を持つ場所、また高齢の方がコミュニケーションを取る場所としては、最高な環境だと思います。


たしかに運動やスポーツは大変だったり、きついと感じたりすることがたくさんあります。


僕自身も、そう感じてしまう1人であります。


しかし、いざやってみると「こんなに楽しいんだ!」「ここまで自分は動けるんだ!」という、自分の新たな発見や楽しさを見つけることができます。


それが最終的には、自分への「自信」につながっています。


現代の僕たちは、さまざまなハイテク機能に身を頼りがちですが、今後の将来性を考えてみると自分の足で動くことも凄く大事だと思います。


その先駆けになるように、これからも頑張ってください!

三屋裕子さんのバレー経歴を紹介!



全日本バレーボール代表選手から、現在は株式会社サイファの社長として活動中の三屋裕子さん。


最後に、三屋裕子さんのバレーボール代表選手時代の主な経歴を、プロフィールと共にご紹介したいと思います。

三屋裕子

<三屋裕子さん・プロフィール>

★生年月日:1958年7月29日

★出身地:福井県勝山市

★職業:株式会社サイファ:代表取締役社長

★備考:元全日本バレーボール代表選手


三屋裕子さんが、バレーボールを始めたのは中学の頃。


中学では、バレーボール部に所属していたと考えられます。


高校は「八王子実践高校」を卒業した後に「筑波大学」へと進学し、1981年には「日立女子バレーボール部」に入部。


1979年には、ユニバーシアードでチームに貢献し、チームは銀メダルを獲得。


その後、日立女子バレーボール部に所属する全日本代表選手として活躍。


1983年のアジア選手権において、見事に優勝を果たし、続く1984年のロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得します。


当時のポジションは「センター」で、スパイクの最高到達点が「308cm」でブロックの最高到達点が「293cm」だったとか。


その高さを生かして、攻撃型のセンタープレイヤーとしてチームで大きく活躍をしました。


全日本女子バレーボール選手を引退後は、高校教師を経て現在社長を務める「株式会社サイファ」を設立。


その他にも日本バレーボール協会理事、日本バスケットボール協会会長を務められています。


選手として指導される側から指導する側として、活躍されるようになったんですね!


今後の活躍にも、ぜひ期待がかかります。



管理人管理人

全日本バレーボールの選手から、社長に転向された三屋裕子さん。
自身のこれまでの経験を十分に生かし、今後も育成指導にあたると思います。
将来の日本スポーツ界を担う一員として、ぜひ頑張ってください!

 

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“三屋裕子社長の年収や結婚と会社について!バレー経歴も気になる!” への2件のフィードバック

  1. 楽しく拝読しましたが一つだけ気になった文言があったので投稿します。三屋さんの時代は「東洋の魔女」ではないのでは?生で試合観戦していたアラフィフ女なので少し気になりました。「東洋の魔女」は白石貴子さんの時代の呼称と記憶しています。記憶違いだったらご容赦下さい。

    1. ご指摘ありがとうございます!おっしゃる通りでしたので、早速訂正致しました。

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