京マチ子さんと言えば、大女優の代名詞ですね。


昭和から平成にかけて映画、舞台、テレビドラマと出演した作品は数知れません。


当時としては160CMと長身で、グラマラスな肉体が魅せる妖艶な演技に、性別を問わず酔いしれたファンは数知れません。


そんな京マチ子さんについて、今回はまとめてみました。
 

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京マチ子さんのプロフィール!本名とドラマ出演作品や若い頃も!


京マチ子 現在


<京マチ子さんプロフィール>

★生年月日:1924年3月25日生まれ

★出身:大阪府大阪市

★本名:矢野元子

出典先:wikipedia

京マチ子さんの生い立ちは一人っ子として出生をし、5才の時に父親が蒸発したんだとか。


その後、母親と祖母に育てられたという事です。


京マチ子さんは1936年、12歳の頃大阪松竹少女歌劇団に入団し、子役として活動を開始しました。


レビューダンサーとして活躍していることろをスカウトされて、1949年25歳の時に大映に入社をし、本格的に女優としてデビューしています。


ほどなく頭角を現し、後輩の若尾文子さん、山本富士子さんと並んで大映の看板女優と称されるようになりました。


特に、京マチ子さんが主演をした1950年「羅生門」(黒沢明監督)がヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞。


1953年「地獄門」(衣笠貞之助監督)も、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞。


1953年「雨月物語」(溝口健二監督)がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞と、海外の映画祭で受賞したため「グランプリ女優」とも呼ばれています。


京マチ子さんは日本人離れした目鼻立ちでモダンな容姿の持ち主でしたが、演技の特徴は女性美の中でも官能的な妖しさ、艶っぽさが際立っていて、見ている人からしたら狂気を誘っているような演技が特徴的でした。


「羅生門」や「地獄門」の武士の妻、「雨月物語」の死霊、「痴人の愛」の奔放なナオミ、大国を傾けてしまう「楊貴妃」「赤線地帯」の娼婦、「細雪」の育ちの良い幸子、「浮き草」の座長の愛人などなど。


・・・・・全てタイプは違いますが、どの役柄も女性としての凄みを感じさせる演技が特徴的でした。


1970年代以降は「男はつらいよ」でマドンナ役を演じられました。


その一方で、「華麗なる一族」や「犬神家の一族」では家庭内の戦いで狂気に走る中年女性を好演し、「必殺仕舞人」では「宿命」を背負う殺し屋集団のリーダーを演じるなど、厚みと年輪を感じさせていました。


このような長年の功績が評価され、1987年には紫綬褒章、1994年には勲4等を受章されました。


他にも数々の貴重品となって形にあなりましたが、2015年には早稲田大学演劇博物館にその多くを寄贈されています。


モノには執着がない、おおらかさが表れていますね。


そんな京マチ子さんですが、若い頃がとてもお綺麗だとネットでは話題となっていました。

京マチ子 昔



こちらが、京マチ子さんの若い頃の画像になります。


これだけお綺麗なら、世の男性人もほっておかないでしょうね。


では、京マチ子さんの現在について、次は迫っていきたいと思います。
 

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京マチ子さんの今現在は?結婚せずに独身なの?



京マチ子さんの逸話で有名なものは「羅生門」に出演するため、眉毛を沿って黒沢監督に直談判したというものがあります。


1965年に東京都渋谷区の高級マンション「コープオリンピア」を購入されています。


当時は高級マンションの黎明期で、分譲価格が初めて1億円を突破したことでも知られた物件です。


大胆な一面が伺えますね。


銀幕やTVモニターを通じて、女性の魅力を惜しげもなく振りまいたマチ子さんですが、私生活においては不思議と浮いた話が少なく、調べたところ結婚歴もありませんでした。


大映の社長、永田雅一さんとの噂もありましたが、現在は生涯独身を貫いています。


2016年明治座の舞台「女たちの忠臣蔵」を最後に、実質的に芸能活動を引退し、現在は大阪に暮らしています。


近況を知る人の話では、90歳を超える今でも記憶がはっきりしていて、元気にお話しされるそうです。


2017年には日本アカデミー賞の会長功労賞が贈られました。


京マチ子さん、いつまでも元気でいてほしいですね。


これからも、大女優としていつまでもメディア業界を見守って欲しいと思います。

 

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“京マチ子の今現在や近況を調べた!若い頃の出演作品は?結婚して夫はいるの?” への2件のフィードバック

  1. 失礼致します。
    失礼ながら 花嫁姿の写真は若尾文子さんだと思います。 京さんも若い頃はお綺麗でしたが。失礼致しました。

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