島崎雪子(しまざきゆきこ)さんは昭和の芸能界を、2つの顔を持って活躍した女性です。


1つは映画やドラマで活躍する女優、もう1つはシャンソン歌手としての顔です。


さらに実業家としても活動していますので、マルチな才能であります。


そんな島崎雪子さんについて、今回はまとめてみました。



島崎雪子さんのプロフィールを紹介!学歴や若い頃も調べた!


★生年月日:1931年2月25日

★出身:東京都

★本名:土屋とし子

★学歴:大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)

出典先:wikipedia

島崎雪子さんは終戦の時代に学校を卒業し、役者を志して上京しました。


演劇学校で学んだ後、1949年公募を開始した俳優座養成所の2期生になりました。


翌年には、映画プロデューサーの藤本真澄氏に見出され、「山のかなたに」で銀幕デビューしています。


芸名の「島崎雪子」は石坂洋二郎の小説「青い山脈」の登場人物に因むもので、昭和24年に映画化された作品で原節子が演じています。


進歩的な思想を持つ英語教師のキャラだったそうで、当時の島崎雪子さんのイメージに合っていたのかもしれませんね。


そんな、島崎雪子さんの昔の可愛らしい画像を見つけたので紹介します。


こちらが、若かりし頃の島崎雪子さんになります。


若い頃の島崎雪子さん


白黒ではありますが、それでもハッキリと美人さんだという事がお分かり頂けると思います。


男性の俳優から、さぞかしアプローチを受けたかも知れませんね。
 

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島崎雪子さんの経歴と出演作や結婚歴が気になる!



1951年東宝に入社してからは、年3~5本のペースで次々に映画に出演しています。


東宝だけでなく東映、日活、新東宝の映画にも出ていますので、大変な売れっ子ぶりだった事が伺えます。


のべ20本以上の作品に出演していますが、名監督による作品で印象的な演技を見せています。


1951年の成瀬巳喜男監督、原節子主演「めし」では奔放な家出娘を演じ1952年、石原洋二郎の小説を市川崑監督が映画化した「若い人」では情熱的な女生徒になりきっています。


最も特筆すべきは、1954年の黒沢映画「7人の侍」でしょう。


セリフがない上に出演時間も短い大変、難しい役所(野武士にさらわれた百姓の女房役)なのですが、その美貌と眼差し、表情だけの演技で見事に演じ、今でも語り草になっています。


1955年に当時、日活の助監督であった神代辰巳氏と結婚しましたが、10年ほどで離婚しています(後に別の男性と再婚をされました)


1959年からは、シャンソン歌手としても活動を始め、その年に「第10回紅白歌合戦」に出演、ダリダの「バンビーノ」を歌っています(その年にはザ・ピーナッツが初出場
して「情熱の花」を披露した年でもあります)


この年からTV出演が増え始め、「しかもバスは走っていく」「四葉のクローバー」などドラマに出演されています。


さらに新宿コマ劇場など舞台でも活躍していますので、まさに絶頂と円熟の時代ですね。


1963年、銀座にシャンソニエ(シャンソンを聴かせるライブハウス)「エポック」を開店していますが、1967年、離婚を機に芸能界から一旦引退し、店の経営に専念するように
なりました。


「エポック」は高級クラブへと形態を変えながら、約20年続いているという事でした。

管理人管理人

1981年、紀伊国屋ホールで舞台「プラトーノフ」に出演し、芸能界へ一時復帰を果たしています。
その後は再び表舞台に出てくることはなく、芸能ニュースなどでも噂を聞きません。
美貌と美声で昭和を華麗に彩った島崎さん。
今では80歳を超えていますが、今ではどうされているのでしょうか。
映画・舞台・シャンソン。。。今ではマルチな活動が、芸能界では当たり前のようになっていますが、当時としては先進的な存在の女性だったといえますね。
平成の今の時代を、いつまでも暖かく見守ってほしいものですね。