昔から日本に伝わり、現代でもその人気が衰えることがない「ボードゲーム」


その人気ボードゲームの一つ、「将棋」に関するすごいお方を今回はご紹介したいと思います。


ちなみにみなさんは「将棋」ってご存知ですか?


誰もが一度は聞いたことのある遊びの一つですね。


ちなみに、将棋の世界でプロを目指す人アマチュアの人やプロの人を一般的には「棋士」と呼びます。


今回は、そんな将棋界を代表するアマチュアの人気棋士をご紹介したいと思います。


また、その人気棋士を襲った「舌がん」という病気についても合わせて、ご紹介したいと思います。


過去のザノンフィクションの記事も大人気です!

城後光義がザノンフィクションに!ホープの経歴や家族は?ガンとの闘い!

音野太志(ライフガード)のプロフィールや経歴は?年収や出身も!

我那覇せいらのプロフィールは?結婚や職業も!ブログや評判は?

天野貴元(あまのよしもと)さんとはどんな棋士?経歴や家族は?



みなさんが誰もが聞いたことがある「将棋」


昔から受け継がれる人気のゲームとして有名ですよね!


今回はそんな将棋に関する、すごいお方をご紹介します。


天野貴元さんという棋士を、みなさんはご存知でしょうか。


僕自身、あまり聞きなれないお名前なんですが、現代の将棋界で有名なお方なんだそうです。


今回は天野貴元さんについて、いろいろとまとめてみました。
天野貴元
<天野貴元さんプロフィール>

★生年月日:1985年10月5日

★出身地:東京都八王子市

★職業:棋士

★得意戦法:棒銀


天野貴元さんは、東京都八王子市出身の棋士です。


天野貴元さんが、将棋と出会ったのは6歳の頃。


その出会いのキッカケとなったのは、父親にあったそうです。


年齢から察するに、父親も将棋が好きな方だったんでしょう。


ちなみにご家族は、父親と母親、そして天野貴元さんの3人家族だそうです。


天野貴元さんは天野家にとって唯一の一人息子だったそうで、ご両親からたくさんの愛情を受けて育ったそうです。


将棋と出会ってから、4年後の10歳のときに本格的に棋士の道へと足を踏み入れます。


まずはじめに、将棋の棋士を養成する機関「奨励会」に入会します。


「奨励会」は3段から6級までの構成で分けられているそうで、2段までは東西に分かれて試合が行われるそうです。


日本将棋連盟によって定められた規定の成績を収めることで昇格でき、プロを目指して行くというシステムになっているそうです。


そんな奨励会で天野貴元さんは日々の鍛練に励み、入会から6年後の16歳のときに「3段」まで上りつめることができました。


しかし、そこから上の世界は思ったように簡単ではなく、なかなか勝ち進めることが出来なかったそうです。


そして奨励会の年齢制限である26歳を迎え、残念ながら天野貴元さんは奨励会を退会することとなりました。


しかし、退会後もプロになる夢を諦めることはなく、天野貴元さんは自身の夢に向かって突き進んでいったそうです。


そこで天野貴元さんは、次なる出会いをすることになります。

天野貴元さんの師匠とは?棋士としての戦績は?



10歳の若さで棋士の世界に足を踏み入れ、16歳で3段に昇格して奨励会を退会した天野貴元さん。


退会後も、棋士の道を進み続ける天野貴元さんに次なる出会いが訪れます。


それは、のちに師匠となる石田和雄さんとの出会いです。
石田和雄
石田和雄さんといえば、1967年にプロ棋士としてデビューされ、引退する2012年までに竜王戦で1組通算1期、名人戦でA級通算4期の好成績を収めた棋士です。


将棋界ではその凄さから「岡崎の天才児」ともいわれ、大きな注目を集めたそうです。


石田和雄さんも、天野貴元さんの師匠として、たくさんのことを教えあげたそうです。


そんな天野貴元さんは、棋士としてどのような戦績を収めたのでしょうか。


調べたところ、天野貴元さんが26歳まで活躍していた奨励会での戦績が掲載されていました。


奨励会時代の、天野貴元さんの通算戦績は「19期342戦162勝180敗」とのことで、勝率は「.474」でした。


この戦績から見ても分かるように、やはりプロの世界はそれほど甘くないって事ですね!


天野貴元さん自身も、相当苦労されたと思います。


何事にも、幾多の積み重ねがあってこそのプロの世界が存在しますよね!


棋士としては立派な成績を残されたと思います。
 

スポンサーリンク

人気棋士・天野貴元さんを襲った「舌がん」とは?



奨励会で幾多の困難を乗り越え、退会後に師匠となる石田和雄さんと出会った天野貴元さん。


天野貴元さんがどれほど将棋に対する愛情を持っていたのか、亡くなられる寸前まで天野貴元さんが書き上げた「あまノート」にその様子がたくさん綴られていました。

天野貴元ブログ「あまノート」

このノートを僕も拝見しましたが、いかに将棋に対する愛情が注がれていたのかが、よくみてとれる一冊でした。


本当に将棋を心から愛していたんですね!


こういう自身の成長をまとめられるなんて、すごく素敵だと思います!


僕も、これをキッカケに自身の成長日記を作ってみようと思いました♪


天野貴元さんみたいに素晴らしく書けないとは思いますが、誠心誠意の思いを込めて書き上げたいと思います。


そんな素晴らしい棋士の道を歩み続ける天野貴元さんに、突如最大の病が襲い掛かります。


それは天野貴元さんが、奨励会を退会してからわずか1年後のこと。


突如、天野貴元さんに「舌がん」が見つかります。


舌がんが見つかったとき、天野貴元さんは27歳。


誰もが予想だにしない突然の出来事でした。


天野貴元さんは「あまノート」でガンになった原因についても、恐らくこれが原因だろうとおっしゃっています。


1つは、喫煙です。ガンになる前は1日3箱~6箱も吸っていたようです。


2つ目は、体調の管理があまりにもずさんだったことだそうです。


それでも、ガンになって落ち込むことはなかったとも書かれていました。


「がん(癌)」といえば、日本人の死因第3位にもランクインするほど多くの日本人が掛かってしまう病気の一つです。


僕の知人も、がんによって最愛の両親を亡くしたという方もいます。


そんながんの一つで、天野貴元さんを突如襲った「舌がん」とはいったいどんな病気なのでしょうか。


天野貴元さんを突如襲った「舌がん」とは口腔がんの一つで、舌前方と舌下面の範囲で発症するがんだそうです。


分類される口腔がんの中で最も多く、個人差はありますがおよそ30%~60%を占めているそうです。


主に、舌縁部に多く発症するんだそうです。


舌がんは「びらん」「潰瘍」などの初期症状からはじまり、最悪の場合には舌の運動や嚥下(えんげ)などの構音障害を引き起こすこともあるそうです。


天野貴元さんの場合、舌がんを発症した後に、言語障害を引き起こしたそうです。


普通の生活から一変、プロの棋士を目指す天野貴元さんにとっては辛い闘病生活がはじまりました。


約12時間にも及ぶ手術は成功したものの、後遺症として言語障害が残ってしまった天野貴元さん。


一時は回復の兆しも見えましたが、そう簡単に完治することはなかったそうです。


そんな一方で闘病生活を送りながらもプロの棋士になる夢は諦めずにいたそうです。


その努力が実を結んだのか、舌がんを発症しながらも挑んだ2014年の赤旗名人戦でなんと全国優勝を果たしました。


人間の努力に秘められた可能性はやはり無限大ですね!


努力が無限大であることを、天野貴元さんは人生を持って証明したと思います。


その後、医師から提案された抗がん剤の治療を棋士の道を突き進むために拒否した天野貴元さん。


やがて舌がんは再発してしまい、翌年の2015年10月27日に、天野貴元さんは30歳という若さで尊きプロ棋士への道を終え、永い眠りにつかれたそうです。


舌がんの発症さえなければ、もしかしたらプロの夢も達成できたのかもしれません。


ですが、天に昇られた今でも、プロの棋士への道を突き進まれていると僕は思います。


これからも末永く天国で棋士として、活躍されて欲しいですね!


過去のザノンフィクションの記事も大人気です!

音野太志(ライフガード)のプロフィールや経歴は?年収や出身も!

我那覇せいらのプロフィールは?結婚や職業も!ブログや評判は?

オルカの経歴と家族や母親は?ホームレス芸人の理由?画像も!


管理人管理人

幼き頃から将棋の世界に足を踏み入れ、亡くなる直前までプロの棋士を目指し続けた天野貴元さん。
その栄誉を讃え、4月3日(日)に放送される「ザ・ノンフィクション」に登場されることが決まりました。
放送では幼い頃から亡くなるまでの素晴らしい天野貴元さんの生き様などが見れるかもしれません。
今回、僕は天野貴元さんについての記事を記すにあたり、「努力することの素晴らしさ」「好きなことにとことん追求することの大切さ」を学びました。
天野貴元さんのように、好きなことをたくさん追求し努力するという素晴らしい人生をこれから送って生きたいと心から思いました。
最後に30歳の若さでこの世を去り、愛する将棋のために最期まで人生を捧げた天野貴元さんのご冥福を心よりお祈りします。

 

スポンサーリンク

おすすめ記事と広告

コメントを残す