名女優として第一線で活躍をしてきた有馬稲子(ありまいねこ)さん。

若い方は、有馬稲子さんを知らないという方も多いのではと思います。

今回は有馬稲子さんについて迫ってみたいと思います。



有馬稲子さんのプロフィールや生い立ちについて

●本名:中西盛子(なかにしみつこ)

●生年月日:1932年4月3日

●出身地:大阪府豊能郡池田町

●血液型:A型

有馬稲子さんの幼少時代は4歳の時、釜山にいる叔母の家に養女として預けられています。

叔母は中西かねさんという方で、日本在住中は宝塚歌劇団に4期生として在籍。当時の芸名は有馬稲子でした。

つまり、有馬稲子さんは叔母が初代を名乗っていたということになります。

13歳まで韓国・釜山で育ったので、一時期は釜山高等女学校に通われていました。

終戦後、漁船に乗り日本へと帰国。

日本では実の両親のもとへ再び戻りました。

その後、大阪府立夕陽ヶ丘高等女学校へと編入されています。高校時代はバレー部に所属しています。

しかし、実父に虐待を受けることがあったため、うつ状態になっていた時期もあったそうです。

家を出たいと思っていた有馬稲子さんを、見かねた友人が宝塚音楽学校へ薦めたこともあり1948年に入学。

翌年、宝塚歌劇団36期生として宝塚歌劇団に入団されました。

在団期間は短かったものの、主演娘役としてご活躍されました。

その後、映画「せきれいの曲」で初主演を果たされ、岡田茉莉子さんと共に二枚看板の女優として大活躍なされます。

私生活のエピソードとしては当時、有馬稲子さんが稼いだギャラを全て父親に持っていかれていた時期があったそうです。

朝食は自分で作っており、健康のために果物をたくさん使った特製ジュースを飲まれるということです。

静岡県下田市に別荘を所有しており、庭ではバラ、レモン、柚子を栽培しているということです。

またプロ野球が大好きで、好きな選手はダルビッシュ有さんです。

有馬稲子さんの今現在は中高年向けのケア付き分譲マンションで生活?若い頃も!

有馬稲子さんは、2019年に放映された映画「葬式の名人」とドラマ「やすらぎの刻〜道」にもご出演をされ、今なお女優として活動なさっております。

調べたところ、どうやら現在は横浜市にあるケア付きの分譲マンションで暮らしながら生活なさっています。

マンションには約420世帯、500人くらいの方が住んでおり、ロビーに出ると住居されている方々と良く顔を合わせるため安心なさるそうです。

またサークルがたくさんあり、有馬稲子さんはモネコガーデンというサークル会を週1回開いており、良い刺激や運動になっているということでありました。

また、読書も好きだという有馬稲子さん。

読みだしたら我を忘れて、平気で2~3時間経ってることがしょっちゅうあるということです。

そんな有馬稲子さんの若い頃がとても美人だったので紹介したいと思います。


※有馬稲子さんの昔の画像

とってもチャーミングでお綺麗でありますね。

白黒でも美人だということが分かりますので、きっとたくさんの人から愛されていたことだと思います。



有馬稲子さんは結婚して夫や子供はいる?

最後に、有馬稲子さんの結婚について気になったので調べてみました。

有馬稲子さんは2度結婚をされて、離婚なさっています。

1度目の結婚は、俳優の萬屋錦之介さんになります。

当時、豪華な結婚式を挙げて話題にもなりました。

結婚生活中は女優業をやめて、専業主婦として家事をされていたそうです。

また萬屋錦之介さんは、毎晩スタッフを10人以上連れて帰って来ていたので、お2人で食事することはなかったということです。

そんな中、女優復帰の話しが舞い込み、オファーを受けた有馬稲子さんは徐々に忙しくなり、萬屋錦之介さんとのすれ違いも増え4年で離婚なさいました。

1969年には、実業家の河村三郎さんと2度目のご結婚をされます。

しかし、1983年に離婚なさっております。

実は有馬稲子さん、20代の時に年上の既婚者である市川崑監督さんと7年もの間、不倫の関係にあったということを暴露して話題にもなりました。

しかも、最初に結婚をした萬屋錦之介さんとの時期も少し被っていたようです。

まぁ今の芸能界は不倫や浮気に対して容赦ないので、当時だから許せる部分もあったかも知れませんね。

有馬稲子さんは2度結婚をされていますが、2人の夫の間に子供はおりませんでした。

大女優として映画やドラマ、舞台で一世を風靡してきた有馬稲子さん。

100歳まで生きるとおっしゃっていたので、今後もますますお元気な姿をメディアで拝見できる日を楽しみにしております。